第8夜 〜 薔薇色の『魔女ッ子の民俗学的究明』 〜
( 2006/02/22 Up! )
やぁ、薔薇の館へよふこそ。
名古屋ライブも済み、そろそろ悪夢の花粉の季節が。。
いかなマイペースなエーハイ様とは言え、いい加減に新譜の事も考えないと。
と、曲作りのツメに本腰を入れようとしているのでした。
ささっ、ひとまず息抜きは隣の寝室で。
先日、行きつけの古本屋にて、とある本を購入。
タイトルは「魔の系譜」。
何だか怪しげな名前ですが、いかがわしい内容ではなく、
民俗学者が書いた清く正しい学術本ですのでご心配なく。
元々は1970年代に発表された本らしく、かいつまんで内容説明しますと、
「死者が生者を支配する」と言う独自の視点で、
日本の歴史を裏側から眺めてみよう、と言うなかなかマニアックな論考でした。
具体的には、
不遇な死を遂げた人(特に身分の高い人)の「呪い」「祟り」などを、
生きている人間達がいかに恐れたか、
あるいは、それを鎮める為にいかに腐心したか(神社を立てたり、祭事を行ったり)。
生きている者がこの世を治めているかに見えて、実は死者の影響を多分に受け続けて
いる。
つまり「死者が生者を支配する」と言う現象が、特に日本には顕著に見られる。
そういった現象(伝統?)の根底にあるものを、仮に「魔」と名付ける。
と言う事でした。
言われてみれば、そうかもなぁ。
天神様こと菅原道真も確かそうだったよなぁ。
・・・などと感心してはみたものの、
民俗学の教養などこれっぽっちも無い私の考えは、
せっせと横道へと逸れて行くのでした。
「呪い」や「祟り」が実在するのか? は差し当たり分かりませんが、
(ちなみに私は霊感ゼロ)
上記の例の様に「それを感じる人」がいたのは事実。
つまり「呪う死者」はさておいても「呪われている(と思う)生者」は存在した。
ならば、問題は「(と思う)」にあるのではないか?
この「感じ方」が曲者なのではないか?!
さあ、いざ行かん、目くるめく深層心理学の迷宮へ!!
と言うのは勿論ウソで、
そんな気などさらさら無い私の想像は、とってもヘナチョコなのです。
感じ方(イメージ)って、
ちょっとした事でプラスにもマイナスにもなるよな〜、
と当たり前と言えば至極当たり前の事を、しみじみ考えた訳なのです、はい。
そして、その実例が「魔女ッ子」なのですよ、そこの鈴木さん。
さて、まず「魔女」と聞いて、あなたはどんな事を思い浮かべますか?
容姿:青白い顔に鷲鼻の腰の曲がった醜い老婆。
黒いマントを着用。杖をついている。しわがれ声。
家:森の奥深くにある古びた小屋。もしくは蜘蛛の巣だらけの洋館。
室内に日当たりはなく、壁一面に昆虫やら蛇やらの瓶詰めがギッシリ。
言動:何やら黒い液体の煮えている大きな鍋をかき混ぜながら、
時々「ヒッヒッヒ」と気味悪く笑う。
夜行性で、性格は嫉妬深い。
んな感じでしょうか。
片や「魔女ッ子」と聞いて、あなたはどんな事を思い浮かべますか?
容姿:赤いミニスカートに白のハイソックス。
ソバカスなんて気にしない、ちょっとチャームな女の子。
寝るときは何故かスケスケのネグリジェ。
家:よっちゃん家とはエライ違いだなぁ、と言う西洋城風の邸宅。
言動:魔法界の掟で人間界に修行に来ているらしいが、
人間の生活を結構エンジョイしている。性格はかなり明るい。
同級に魔女ッ子がもう1人いて、次期女王の座を争うライバル。
備考:変身用アイテムはバンダイより発売中。
色んなのが混じってますが、、そんな感じでしょうか。
とまぁ、魔女にただ「ッ子」が付いただけで、何と違う事か。
同じ「魔女」の属するクセに、全く別概念と化するのです。
「何を当たり前の事を・・」と仰いますな、佐藤さん。
こんな事でも掘り下げてみると、意外な発見があるもの。
思いっっ切り四角四面に「子」は「子供を表す」として考えてみると、
魔女に「ッ子」が付くことによって起こる情報の変化は、
該当の者が「魔女の『子供』である」って事だけ。
ならば、極端な話、男の子でも良いはずです。
百歩譲って女の子だとしも、そのイメージは、
上記「魔女」のイメージと同様になって然るべき(子供用に若干修正は入りますが)。
元々「魔女」が先なのですから。
しかし、そうはならないですよね。
「魔女ッ子」は例外なく女の子だし、ポジティブなイメージになる。
ここが本日のビックリドッキリメカなのです、齋藤さん。
つらつら考えてみるに、
我々は、対象が持つ本来の情報以外の部分、いわば「余白部分」に、
割と勝手なイメージの色を塗っている場合が多い、と気付くのです。
そして、それを「対象そのものが持つモノ」と思い、
驚くほどに根強く持ち続ける傾向にある。
先の「死者が生者を支配する」モデルのプチ類型とも言えます。
例えば、「空(そら)」と言う言葉には、これまた四角四面に考えると、
地面の上方の空間、と言う情報しか含まれない。
しかし、雲一つなく晴れ渡った透明な5月の青空を思い浮かべる人も居れば、
寒いと思ったら雪が降り出した暗い12月の曇天を思い浮かべる人も居る。
つまり、イメージ(感じ方)とは、
ほぼ全面的に「受け取る側(感じる側)」に委ねられるのです。
それがケシカラン! と言いたいのではありません、田中さん。
それに、それが人間の特性だとしたら、これをすっかり無くすのは、
鼻でタバスコを一気に飲み干すくらい困難な作業でしょう。
悲しいモノは悲しいし、嬉しいモノは嬉しい。腹立たしいモノは腹立たしい。
そう「感じる」のは当然なのであって、問題はそれ以外。
つまり、悲しくも嬉しくも腹立たしくもない多くの物事に、
プラス or マイナスの付加価値の色を塗っているのが我々自身だとしたら、
そして、それが変えられない天性だとしたら、
それらの物事に、積極的にプラスの色を塗らないほど損な事は無い!
と言いたいのです。
不要な先入観は、とかく損を招くのです。
「当たり前と言えば当たり前」の事ですが、
そんな自覚って今までありましたか、五所川原さん?
・・・と、偉そうに言い放ってはみたものの、
一筋縄では行きませんなぁ、こりゃ。
そう簡単に行くなら、この世から差別や偏見は根絶され、
無益な争いも無くなり、人類皆兄弟のスローガンが現実化して、
天国のジョン・レノンとガンジーとマーティン・ルーサー・キングJr.が
嬉しさあまって阿波踊りを踊り出す事でしょう。
だが、実際には、なかなかそうは行かんですわな。
でもまぁ、
折角、命の次の次の次ぐらいに大事な昼寝時間を削って考えた事です。
もしかしたら、そんなモンでも心の片隅に有るのと無いのでは、
後々色んな事が変わってくるかもしれませんよ、富田林さん。
∴取りあえず「二人はプリキュア」見てみますか?
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